2019/03/28
グラミン銀行~ゆっくりコツコツやることの大切さ
貧困を救うマイクロクレジット
グラミン銀行――マイクロクレジットと呼ばれる方法で貧困層の「稼ぐ力」を支援している銀行です。
バングラデシュの貧しい人々を救済したいという思いで、当時バングラデシュのチッタゴン大学の学部長だったムハマド・ユヌス博士が1983年に創設しました。その後、グラミンの活動はバングラデシュだけでなく世界各国に広がり、2018年9月に日本にも上陸しました。(グラミン日本 https://grameen.jp/)
グラミン銀行は、貧困に苦しむ女性たちに少額のお金を融資し、彼女たちはそのお金によって例えば小さなミシンを買って服を作って売ったり、竹を仕入れて籠を作って売ったり、家畜を買ってそれによって収益を生み出したりします。
つまりマイクロクレジットとは、少額の融資によって自らが小さな事業を起こし、それによってお金を稼ぎ、貧困から抜け出すことを支援する、という仕組みです。
なぜ女性たちかというと、バングラデシュでは女性の地位が低く、社会でも虐げられていたことが起点になっています。女の子が生まれると食べる口が増えるということと、結婚するときに「持参金」を持たせないといけないという慣習から、女の子は家族の中でも歓迎されない存在だったそうです。
結婚したらしたで夫には絶対服従、勝手に外を出歩くことも許されない。夫が十分なお金を妻に渡さない中でも、子供には食べさせないといけない母親は、自らの食べる分を子供に回すしかありません。貧困地域の中で、女性はさらなる苦しい立場に追いやられていたのです。
ここに、救わなけれないけない本当の貧困があったのです。
この状況の中でユヌス博士はグラミン銀行を立ち上げ、彼女たちに融資し、貧困から抜け出すための支援を始めたのです。
「施し」は成長を止めてしまう
ユヌス博士が主張するのは、貧しい人に「施し」をするだけでは何も解決しないということです。
つまり、貧しい人に豊かな人がお金を渡すだけではだめだ、ということ。
貧しい人を見たり、彼らからお金をねだられたら、つい私たちはお金を渡してしまいます。しかしそれは一時しのぎに過ぎません。お金を渡した方は自己満足し、もらった方は次にもらえる人を探してさまようだけで、何の解決にもなりません。
ユヌス博士のグラミン銀行では、貧しい女性たちに資金を貸し付けることで、彼女らが自ら小さな事業を起こすことを支援します。雇われるのではなく、自ら主体的に事業を始め、収益を出し、きちんと返済をしていくように導きます。この「事業を支援する」ということが、彼女たちのやる気を引き出し、自信をつけさせ、主体的に生きる活力を与えているのです。
「(融資ではなく)お金を渡すことは、現実の問題から私たち自身を遠ざける一つの方法なのだ。わずかな額の金を渡しておけば、私たちは自分が何かをしたと思えるし、善い行いを貧しい人々と分け合うことができていい気分になれる。しかし、実際には、本当の問題を放置しているだけなのだ。私たちは問題を解決しようとする代わりに、金を放り投げて歩き去ってしまうのだ」とユヌス博士は警鐘を鳴らします。
お金に困っているとき、お金をもらえたら助かります。しかし同時に、自分で考えて行動する機会を奪っているという側面もあるのです。
助成金が会社をダメにする?
話は飛びますが、日本の中小企業支援の政策でも助成金という名の巨額な「施し」が毎年行われます。当然のように行われているこの政策もユヌス博士の「施しは何も解決しない」という主張に照らすと、ある疑問が湧いてきます。それは、助成金は本当に中小企業のためになるのか?という疑問です。
確かに資金的に苦しい中小企業が助成金を受けることで余裕ができ、経営がしやすくなるという面はあるでしょう。助成金によって買えなかった設備が買えたり、ホームページを新しくでき、業績に貢献したという事例も報告されています。しかし一方で、「もらったお金」というのは、どうしても使い方が荒くなり、よく考えもしないで使ってしまったりもします。
お金がないときは、どうやって今あるもので勝負するか、を必死に考えますが、「施し」を受けると途端に思考が浅くなります。時には思考が止まったまま、使わなくてもいいお金を使い、将来的な成長にまったくつながらない選択をしたりします。つまり、経営が「緩(ゆる)む」のです。
実際に助成金を何度も利用した経営者は「助成金は麻薬みたいなもので、最初はありがたく思って気持ちも高揚するが、そのうちもう一回もう一回と何度もと要求するようになり、最後には大金をもらっても何とも思わなくなる」と言っていました。
施しを受けた経営者と受けずに自力で頑張った経営者とでは、もしかしたら前者の方が成長スピードは速いかもしれませんが、経営力や判断力は後者の方が身につくと思います。それくらい、自分で考えて行動するということは会社が成長するために重要だと私は思います。
中小企業の経営者のためにと行われた施しが、実は経営者の経営力を伸ばす機会を奪っているという、皮肉な結果を招いている恐れがあると思うのです。
雇用ではなく自営を推す
グラミンでは、施しを与えるのではなく、就業先を紹介するのでもなく、自営による自己雇用を重視します。
女性にとって自営が雇用よりも優れていることをユヌス博士は、①時間がフレキシブルで女性向き、②楽しんでいる趣味を利益の上がる仕事に変化させることができる、③福祉への依存から抜け出し、単に賃金の奴隷になるのではなく、店を開いたり製造業を始めることができる、等の理由から説明しています。
しかし、今まで自営などしたことのない女性たちが家事をしながら、お金を借りて事業を立ち上げ、利益を出し、借金を返済していくことなど可能なんでしょうか。
当初は彼女たち自身がそんなことを信じなかったし、彼女たちの夫は猛反対、さらには地域社会もそんなことを受け入れる雰囲気ではありません。なんせ、女性が外を出歩くだけで批難される社会で、融資を受けて事業を始めるなんてとんでもない!ということです。
そんな中で始まったグラミン銀行が、今では全世界にその輪を広げています。なぜそれができたのか?このことについてユヌス博士は「その秘密は『ゆっくり』という言葉に隠されている」と言います。
ゆっくり着実に、がコツ
グラミンに反対したり疑ったりする人がいても、その人たちと対立しないようにゆっくり活動を広める。素早くことを起こして失敗するよりも、ゆっくり着実に、物事を正しい方向に進めていったほうがいいのだ、とユヌス博士はいいます。
女性たちは、仲間と励ましあいながら事業を始め、コツコツと前に進みました。グラミン銀行の職員に励まされながら、自分たちを信じ、仲間を信じ、ゆっくりと歩みを進めたのです。
彼女たちはしっかりと収益を稼ぎ、グラミン銀行からの融資の返済も確実に実行していったそうです。「貧困層の人たちが、借金をきちんと返済できるはずがない」と疑っていた人たちの懸念を吹き飛ばし、一般の人々よりも高い返済率を実現したそうです。
ユヌス博士のグラミン銀行は、丁寧に丁寧に、何度も何度も説明し、理解を求め、言ったことを必ず実行し、少しずつ、ゆっくりゆっくりと進んでいったのです。
この「ゆっくり」こそグラミン銀行の成功の秘密なのだ、とユヌス博士は言います。
小さく控えめに始めて実験を繰り返し、失敗から学んだことを次の行動に生かして進んでいく。ゆっくりゆっくり。コツコツと。
自分で考えて自分で行動する。自分でエンジンをつくり、自分で動かし、自分で磨いていく。それが重要なんだよ、と。
ユヌス博士が教えてくれました。
今後、グラミン銀行がどこまで広がっていくのか。そして日本でのグラミン銀行はどんな風に活動していくのか。
それに期待するとともに、ユヌス博士が唱えた、施しに頼らず「自立することの大切さ」を胸に刻んでおきたいと思います。
~コツコツ流のオキテ その二十五~
★「ゆっくり」が結局、一番早い
2017/10/06
【偉人】マクドナルドを「やり遂げた」男
子供のころ、マクドナルドのハンバーガーを初めて食べた時は、その美味しさに衝撃を受けたものです。初めて食べたピクルスの不思議な味、家で出て来る「ジャガイモのフライ」とは何かが決定的に違うフライドポテト、そしてマックシェイクというドロドロな魅惑的な飲み物に、私たちきょうだいは唸ったわけです。
当時、名古屋市郊外の田舎に住んでいた私の家の周りにマクドナルドはまだ無くて、名古屋の中心街「栄」にあった店舗に、時々母親に連れていかれました。母は子供たちに教育的な映画を見せるために、嫌がる私たちを名古屋に連れ出す「エサ」としてマクドナルドを利用していました(笑)。
あまり面白くない教育映画など見たくなかったけれど、マクドナルドに行けるのならと、母についていき、憧れのハンバーガーを食べるのを楽しみにしていたわけです。味の衝撃の他に、ハンバーガーを包む包装紙やポテトのパッケージのカッコよさ、セルフサービスで自分たちで2階の席に運ぶスタイルが斬新で、私のお気に入りでした。
マクドナルドを飛躍させた男
そのマクドナルド。
フランチャイズ化に成功して、全世界に店舗網を広げる基礎を作ったのがレイ・クロックと言う人です。その半生は先ごろ「ザ・ファウンダー」という映画にもなりました。私は自伝「成功はゴミ箱の中に」を以前に読んだことがあり、最近また読み返しています。
1955年、レイ・クロックは、マクドナルド兄弟が経営する「マクドナルド」のフランチャイズ権を獲得し、店舗展開に乗り出します。その時52歳。それまではミルクシェイクを作る「マルチミキサー」という器械を売る会社を経営していました。
このマルチミキサーを売る目的で「マクドナルド」を視察に行ったレイは、そのシンプルで洗練された「システム」に感銘を受け、この店をフランチャイズ展開したいという野望を持ったのが、マクドナルドの始まりです。そして、84歳で亡くなるまでに世界34か国で8300店舗を開いたのです。
レイ・クロックはとんでもなく大きなことをやり遂げた人ですが、恐らく努力の人だったのではないかと思います。もし生まれつきのビジネスの天才だったら、52歳になるまでにもっと成功していたはずです。52歳でマクドナルドに出会うまでに、色んな職業を経て、借金を抱え、家庭の不和も乗り越え、日々を必死に生きてきた人です。そして、ようやくチャンスをつかみ、大成功への道を歩き始めた、努力の人なのです。
現にレイはこう言っています。
「やり遂げろ--この世界で継続ほど価値のあるものはない。才能は違う--才能があっても失敗している人はたくさんいる。天才も違う——恵まれなかった天才はことわざになるほどこの世にいる。教育も違う——世界には教育を受けた落伍者があふれている。信念と継続だけが全能である。」
レイ・クロックは、コツコツ流が提唱することと同じことを言っています。才能でも天才でもなく、継続が大事なのだ、と。そして継続しやり遂げるためには強い信念がいるのだよ、と。
リスクも醍醐味
そしてレイは「あきらめずに頑張り通せば、夢は必ず叶う」と、別の場所で言っています。そしてこう続けました。
「もちろん、努力せずに手に入るものではない。好き勝手にやればいいというわけでもない。リスクへの覚悟も必要だ。ひょっとしたら一文無しになるかもしれない。けれども一度決めたことは、絶対にあきらめてはならない。成功にリスクはつきまとう。しかし、それこそ醍醐味である」
リスクを醍醐味だと言って楽しめるか。これはなかなか難しいかもしれません。しかし人生に充実感を感じるためには、リスクを背負い、チャレンジしていかなければならないということは、私も身をもって感じるし、私の周りの経営者を見ていても、リスクを背負っている人は輝いて見えます。いや、むしろ、すごく楽しそう。
リスクについて、レイはこう言います。
「幸せを手に入れるためには失敗やリスクを超えていかなければならない。床の上に置かれたロープの上を渡っても、それでは決して得られない。リスクのないところに成功はなく、したがって幸福もないのだ。我々が進歩するためには個人でもチームでも、パイオニア精神で前進するしかない。企業システムの中にあるリスクを取らなければならない。これが経済的自由への唯一の道だ。ほかに道はない」
レイは、おそらく何度もリスクを取ってチャレンジし、そして失敗を重ね、それでも「やり遂げる」ために継続して努力を積み重ねてきたんだと思います。
今日、私たちの身近にマクドナルドのハンバーガーがあるのも、レイ・クロックの信念と継続があったからなんだと思うと、姿勢を正して食べなくちゃ、と思います。
偉大な経営者は引寄せ合う
レイ・クロックの自伝「成功はゴミ箱の中に」には、ユニクロの柳井社長とソフトバンクの孫社長の対談と柳井社長の解説が載っています。
お二方とも、起業家としてのレイ・クロックに一目置いていて、その解説や対談はとても興味深いものになっています。
孫社長は、ソフトバンクを起こす前に、藤田田さんの著書「ユダヤの商法」を読んで感銘し、既に成功者だった藤田さんに面会を申し込みます。そのときに、藤田さんから「コンピュータをやれ」と言われて、その方向に進んだというのは有名な話です。藤田田さんは、マクドナルドを日本に持ってきた人で、レイ・クロックからマクドナルドのシステムを教わったそうです。その後、藤田さんは、成功したソフトバンクの社外取締役も務めました。このあたりの人間のつながりが、すごく面白いですね。
柳井社長は、山口県宇部で小さな衣料店からスタートし、ユニクロを大企業に育て上げました。その柳井社長はレイ・クロックの「Be daring , Be first , Be different (勇気を持って、誰よりも先に、人と違ったことをする)」という言葉に打たれ、常にこの言葉を胸に行動してきたそうです。
レイ・クロックに偉大な経営者たちが刺激を受け、それぞれに影響しあっていたのです。
その言葉にはやはり重みがあります。
やり遂げろ。絶対にあきらめるな。
シンプルだけど、ズシンときます。
~コツコツ流のオキテ その十七~
この世界で継続ほど価値のあるものはない