2020/05/05
【志村けん】コロナでこの世を去った稀代のコメディアンは”静かな人”だった
0.腹がよじれるほど笑ったヒゲダンス
志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなりました。享年70歳。偉大な芸人のあっけない最期に、多くの人が驚き、そして悲しみに暮れました。
1970年代。当時の小学生がみんなそうだったように、僕も毎週土曜日に放送される「8時だヨ!全員集合」を楽しみにしていた子供の1人でした。なかでも志村さんと加藤茶さんの「ヒゲダンス」を初めて見た時は衝撃で、生まれて初めて「腹がよじれるほど笑う」という体験をしました。
その後も「変なおじさん」や「バカ殿」などのキャラクターを生み出し、一貫してコントを作り続け、僕たちを笑わせてくれた志村さん。本当に、国民的なスターと言って間違いないと思うし、そういう偉大な人をコロナウイルスという通り魔のような存在によって失ってしまったことは、僕たち日本人にとっては怒りのやり場が無くて、本当に悲しい出来事として記憶に刻み込まれました。
Ⅰ.シャイな大物芸人
志村さんの素顔を知る人は、志村さんは実はとてもシャイで人見知りだった、と言います。
志村さんと仲が良かったお笑い芸人の千鳥・大悟さんは、志村さんから「飲み会に後輩を連れてこいよ」と言われたので連れて行くと、志村さんは緊張して何もしゃべらなくて困った、とインタビューで答えています。ピースの又吉直樹さんを連れて行ったときは2時間無視していたそうです(笑)。これは決して悪気があってのことではなく、単に、極度の人見知りだったからなのだそうです。
さらに有吉弘行さんが、志村さんの舞台を見に行って、舞台後に楽屋に挨拶に行ったときのこと。顔を見せてすぐに帰ろうと思って楽屋を覗くと「おいでおいで」と呼ばれたので近寄って、「どうも」とあいさつ。「よく来たね」と言われた後5秒ぐらい見つめ合って、会話が無いから、深々とお辞儀をしてそっと帰ったそうです。とにかくシャイで人見知りな人なのだそうです。
こういう報道から見えるのは、華やかな世界で生きる大コメディアンでありながら、志村さんのその素顔は実はとても静かな人、ということです。そしてこのことが実は、コント一筋でこだわり続け、緻密で繊細に作り込まれたコントを生み出し続けたことと深いつながりがあるのではないかと、僕は思うのです。
Ⅱ.内向型の人が持つ粘り強さ
「Quiet~内向型人間の時代」の著者であるスーザン・ケインは、この本の中でこう言っています。
「内向型は、持続力や問題を解決するための粘り強さ(中略)を持っている」と。
志村さんが内向型の人だったと断定する資料はありませんが、仕事以外の時の志村さんは極度の人見知りであり、シャイで物静かだった、という周囲の人たちからの発言から、自身が演じるコントのキャラそのものの破天荒な外向型ではなく、静かに自分と向き合う内向型の人だったのではないか、と思います。
そして、スーザン先生はこうも言っています。
内向型の人は、報酬の多寡に関係なく、自分が大切だと思えるプロジェクトに集中し、我が道を行くために測り知れないパワーをもたらすのだ、と。
志村さんは役者の誘いが何度もあったにもかかわらず、コントにこだわり続けました。自分がやりたいと決めた一つのことを、深く深く考え、緻密に組み立て、何年にもわたって集中してやり続けられる強いパワーを持っていた人でした。それが、人々を楽しませるコントを生み出し、老若男女、日本人はもちろん海外の人をもファンにしてしまうクオリティの笑いとして結実したのです。
Ⅲ.ひとつのことをやり続けろ
タレントの出川哲朗さんは、志村さんからこんな言葉をかけられたそうです。
「『出川、お前は俺と似ているな』と言われたんです。『お前はリアクションで、俺はコントだけをずっとやり続けている。芸人は不器用でいいんだ、器用になる必要がない。自分の好きなことだけをやり続けたほうがいいと思うから、お前もリアクションをやり続けろ。俺もコントをやり続けるから』、と」。この言葉を聞いて、「僕がやってきたことは間違ってなかった、これからもそうやって頑張っていきたいな、と思えたのでよく覚えています」と話したそうです。(FLASHより転載)
また、お笑いコンビのタカアンドトシさんは、志村さんに「ひとつのことをやり続けろ」と励まされたと言っています。
「欧米か」でブレイクした後、「次」が生まれずに悩んでいた時、志村さんは「(ギャグが)ひとつあるだけでもすごいんだよ。それをやり続けろ。俺だって変なおじさんとバカ殿しかないんだから」とアドバイスしたそうです。
出川さんに対してもタカトシさんに対しても、志村さんは「ひとつのことを続けることの大切さ」を説いています。
とかく現代は、ひとつのことに固執せずに次から次へと新しいことをやっていくことが奨励される風潮もあります。コツコツやる奴はバカ、と言う人もいます。
が、しかし。
やはり本当に偉大な人が言うことは、いつも決まってこれです。↓
「ひとつのことを長く、コツコツと続けろ」。
Ⅳ.志村けんとアインシュタイン
志村さんが内向的だったかどうかは定かではありませんが、少なくともシャイで人見知りだったことは、周りの人からの証言で明白です。
人にやさしく、シャイで丁寧で(後輩にも必ず敬語だったそうです)、そして尚且つ、自分が好きなことに集中し、長期に渡ってやり続けることができるという、内向型の人の特徴を持っている人でした。それをコントというステージで長期に渡って発揮し続けたのではないか、と思います。
「持続性はあまり目立たない。もし天才が1%の才能と99%の努力の賜物ならば、私たちはその1%をもてはやす傾向がある。その華々しさやまぶしさを愛するのだ。だが、偉大なる力は残りの99%にある」とスーザン先生は言っています。
志村さんの天才性については多くの人たちに語られています。多くのお笑い芸人やアーティストたちに大きな影響を与えました。僕ごときが言うのもおこがましいですが、あのヒゲダンスの面白さは、ぶっ飛んだ天才性から生まれたとしか言いようがありません。
しかし、実はその天才性を裏側から支える努力と継続が、志村さんにはあったのです。果てしない時間を費やしてきたその努力と継続性。これこそが僕たちが志村さんから学ばないといけない本当に大切なことなのです。
「私はそんなに頭がいいわけではない。問題により長く取り組むだけだ」と極度の内向型だったアインシュタインは言ったそうです。(参考『内向型の人間の時代』)
志村さんとアインシュタイン。
2人とも天才であることは疑いがない。
そして2人とも、続けることの大切さを知る、シャイな人だったのです。
~コツコツ流のオキテ その二十八~
天才が言うことはいつも同じ。「コツコツ続けろ」
2018/07/14
粘ったもん勝ち。北野武監督から寺島進への言葉
俳優の寺島進さん。
北野映画を始め数々の映画やドラマに出演する人気俳優です。
この寺島さん。早稲田大学を中退後に役者の世界に入るも、40歳を超えるまで食べられず、長らくアルバイトをしながらの下積み生活をしていたそうです。
北野監督からの言葉
寺島さんは、ある「行動」を起こします。
北野監督がアメリカで映画を撮っているという噂を聞いた寺島さん。出演予定もなく、ただ撮影風景を見てみたいという理由だけでアポも無いのに渡米し、北野監督の関係者に連絡を取り続けたそうです。願いが通じ、異国の地で北野監督と会い、親交を深めることができたのだとか。アメリカにまで自分を慕って追いかけて来る若者に、北野監督も感じるものがあったのかもしれません。
そんな売れない時代に、寺島さんは北野監督からある言葉をかけられます。
「にーちゃん(北野監督は寺島さんをこう呼ぶ)、反射神経が必要なスポーツ選手や芸人と違って、役者には引退がないんだよ。だから粘れよ。死ぬ前に1回天下を獲ったら、それで勝ちなんだよ。だから粘るんだぞ」
この言葉を聞いた寺島さんは、「今は売れていないけど、一生やり続ければ何とかなるかもしれない」、と役者として生きていく覚悟を決めたのだそうです。
その後、寺島さんは北野監督の映画「HANA-BI」に出演。
この映画は第54回ヴェネツィア国際映画祭にて金獅子賞を受賞。日本映画としては『無法松の一生』以来40年ぶりの快挙です。この映画祭で上映された時、会場はスタンディングオベーションに包まれました。そのとき北野監督は寺島さんにこう言ったそうです。
「にーちゃん。お前、粘り勝ちだな。辞めなくて良かったな」
どうすれば粘れるのか?
仕事において粘ることは大切です。死ぬまでやり続けるとコミットしていれば、いつか花開く時がやって来る。
では、粘るためにはどうすれば良いのでしょうか?4つに整理しました。
1.まず、長期間やり続けても飽きないことを選ぶこと。それは多くの場合、好きなことや楽しいことです。好きなことや楽しいことというのは、その時点で自分の性格や能力において適性があると考えられます。そもそも適性がないことをやっても楽しくないですし、好きになりにくいはずです。
2.その仕事の分野が奥深く、研究し続けるほど魅力が出てくるものであること。寺島さんが追及している俳優とか演技という分野も、やればやるほど次の課題が出てくるような、研究し甲斐のある仕事でしょう。私の仕事である「経営コンサルティング」という分野も奥が深く、人生をかけて研究し続けるに足る仕事だと思えるからこそ、今もって続けられているのだと思います。
どんな仕事でも、突き詰めていけばいくほどその奥行きの深さに驚かされることでしょう。その奥深さを「面白い」と思えるかどうかが、継続のカギとなります。
3.理解者がいるということも大切です。自分のことを支えてくれて、応援してくれる人。例えば既婚者であれば、パートナー(配偶者)に自分の仕事を理解してもらえるかどうかは大きな問題です。誰も応援してくれる人がいない中、長期間に渡って困難な境遇に身を置き続けることは難しい。辛さを共有し、時には一緒に笑い飛ばしてくれる人がいると、粘り強くなれます。
パートナーに理解してもらうためには、その人を納得させるくらいの熱量をもって仕事(事業)に取り組んでいることが重要です。口だけで行動が伴っていない人を理解し応援することはできません。経営者は銀行やお客様から応援してもらう前に、まず奥さん(だんなさん)から応援してもらえなければなりません。そうでなければ、赤の他人から応援が得られるわけがありません。
寺島さんの奥さんの情報はありませんが、寺島さんにとって北野監督という理解者に出会えたことは大きかったでしょう。本人も北野監督を恩人と言っています。ではなぜ北野監督は寺島さんを理解し応援していたかと言えば、そこに役者としての才能の他に、寺島さんの熱量の大きさを感じたからだと思います。才能を持った人はたくさんいる。しかし、応援したいと思わせるほどの熱量を持った人は、なかなかいない、ということなのだと思います。
そして誠実であることも理解者を得るためには欠かせません。誰しも、不誠実で信頼のおけない人を応援しようと思いません。だからチャンスは、誠実な人にのみ訪れるのです。チャンスを持ってきてくれるような「キーマン」は、ビジネスに長けた人であることが多く、彼らは誠実な人かどうかを見極める目を持っているからこそ、ビジネスで成功しているのです。一瞬の成功ならいざ知らず、長期に渡って成果を出している人は、その人自身が誠実であり、相手にも誠実さを求める可能性が高いのです。
北野監督は寺島さんの中に誠実さを見たのだと思います。誠実さは考え方に現れ、行動に現れ、目の輝きに現れるのでしょう。だから理解者となり、チャンスを与え、のちの寺島さんの活躍を支えるような温かい言葉をかけたのです。
4.そして、「なぜこの仕事をするのか?」という問いにはっきりと答えられること。ここにコミットしていないと、小さな困難に会うとすぐに辞めてしまいかねません。「なぜ?」をしっかり考えて仕事を選択することは、窮地に立たされたとき、ギリギリのところで踏ん張るために、とても重要になります。
あんたも粘れよ
あるテレビ番組で寺島さんは、生き残りをかけて崖っぷちの戦いをしている女性アイドルに北野監督とのやりとりを紹介し、こう言葉をかけていました。
「あんたも粘りなよ」
そのアイドルはバラエティ番組であることを忘れ、涙ぐんでいました。
死ぬまで続けて、最後に勝てたと笑えれば、人生は勝ち。
結果が出なくてやんなっちゃった時、北野監督の言葉を思い出そう。
「にーちゃん、粘れよ」
~コツコツ流のオキテ その二十三~
★仕事は、粘ったもん勝ち
2018/03/12
「小さなことをコツコツやっているだけ」~カズは走り続ける~
「キングカズを見に行こう」
サッカーに興味を持ち始めた小1の息子を誘い出し、51歳のJリーガー、三浦知良選手を見てきました。
去る2018年3月3日、岐阜の長良川競技場で行なわれたFC岐阜対横浜FC戦。そう遠くはないカズの引退の日が来る前に、今年は絶対に見にこうと決めていた一戦です。
ひたすら準備するキング
スタジアムに入り、すぐカズ選手を探す。しかし、メインスタンドに入った僕たちとは反対側のバックスタンド側でカズ選手は練習していたため、ほとんど見えない。しかししばらくするとカズ選手はメイン側に移動してきて、ひたすらダッシュを繰り返し始めました。時折、個人トレーナーと思われる人と言葉を交わし、また走り出す。今日の体の調子を確かめるように、何度も何度もただ一人、ダッシュを続けていました。
試合前のセレモニーが終わり、いよいよ試合開始。しかしカズ選手は出ない。開幕戦に続き、今日の試合もベンチスタート。今日も出ないのか?嫌な予感。
そんな僕の心配もよそに、試合中もカズ選手はアップを続けます。出番が来ると信じて。
試合を見つつ、カズ選手のアップの様子からも目が離せません。
そしてカズ選手がようやくピッチに投入されたのは、後半も残り5分を切ったところ。勢いよく飛び出し、走り回るが、ボールが回ってこない。そして一度もボールに触ることなく、試合終了。シュートゼロ。パスもゼロ。さすがに短すぎます。
試合後、観客席の前まで挨拶に来てくれたカズ選手の表情からは無念さがにじみ出ていました。残念です。その悔しそうな姿を、目に焼き付けて、僕たちは帰途につきました。
カズ外し事件
10代でブラジルでプロ契約し、現在プロ33年目。日本ではもちろん世界を見渡しても、51歳でプロ契約しているサッカー選手はいません。まさにレジェンド。まさにキング。その偉大さはサッカー界はもちろん、日本中の人が、そして世界の人たちからリスペクトされています。
しかし、カズ選手がフランスワールドカップの予選を戦っていたころ既に、日本人はカズ選手のことを峠を越えた選手として見ていたのではないでしょうか。そう、僕自身も、実はそう思っていました。
ピリピリした予選リーグの中で、カズ選手にボ―ルが渡っても、以前ほど期待感が持てませんでした。試合に出ている他の選手に比べて、スピードで見劣りし、置いて行かれる。フェイントにも切れが無く、相手を振り切ることができない。
いつしか人々は、試合に出ているカズに見切りをつけ、「カズを代えてくれ」と思うようになりました。今、カズ選手を尊敬してやまない僕自身も、当時は「カズではワールドカップを戦えない」と、生意気にも思っていました。
だから、当時の日本代表の岡田監督がフランス大会の寸前でメンバーからカズ選手を外した時「功労者に何という無礼を」とは思ったものの、「戦力として判断するなら、それも仕方ない」と妙に納得してしまった自分がいました。
この「カズ外し事件」は、サッカー界、スポーツ界はもちろん、マスコミも大騒ぎし、金髪にして会見場に現れたことも合わせて、僕たち日本人にとても大きなインパクトを残した出来事でした。
しかし、カズが「大きな功績を残した偉大なサッカー選手」としてだけではなく、1人の仕事人として「レジェンド」とまで言われ、多くの人に尊敬されるような存在になったのは、このカズ外し事件から後のカズ選手の生き方にあったと僕は思います。
サッカーと人生を楽しむ
「日本とは違うところでゼロからやりたかった」と考えたカズ選手は、クロアチアのディナモ・ザグレブというチームに移籍します。ザグレブにいたのはわずか8カ月でしたが、チームメートのゴラン・ユーリッチという選手に出会い、大きな影響を受けたと言います。
「クロアチアで生活した8カ月はいま僕がサッカーを続けていることにつながる大きな分岐点だったと思う」
「ゴラン・ユーリッチという選手に会って、サッカーを楽しむと同時に人生を楽しむことを学んだんです。彼がオフの使い方、ファッションや食、生きる姿勢、そんなものを見せてくれて、サッカー選手として大人にしてくれたんです」
クロアチアから戻ったカズは、ヴィッセル神戸を経て横浜FCに移籍し、現在に至ります。その間、日本代表に呼ばれたこともありましたが、今までのところ、ワールドカップへの出場は果たしていません。
「小さなことをコツコツやってるだけ」
横浜FC に移籍した時が38歳。普通の選手ならば、引退している年齢。それから40を超え、45を超え、とうとう50歳を超えても現役を続けている。当然、プロとして先発フル出場ができるための体作りは半端な努力ではない。毎日毎日、信じられないくらいのストイックな生活をし、厳しいトレーニングを自分に課していることは、何度もマスコミで報じられ、驚きを持って僕たちに伝えられます。
カズ選手は言う。「小さなことをコツコツやっているだけ」(AERA STYLE MAGAZINE)
妥協のない1分1秒を積み重ねて、体を作る。すべてはサッカーのため。
なぜ、カズ選手は51歳にして、現役のプロサッカー選手を続けられるのか。何が、カズ選手を駆り立て、厳しくストイックなトレーニングを何年も続けさせるのか?
サッカーが好きなことはもちろん。
「一生懸命やることこそが楽しい」と考えている人なのだと思います。中途半端にやりたくない。一生懸命やるからサッカーは楽しい。そして一生懸命に取り組めるものがあることに感謝し、日々積み重ねる。
カズ選手は言う。
「とにかく今日が大事で、昨日は関係ない。今日、いま、自分の力を見せるのが大切なことで、昨日は関係ないんです」
大きな実績を残したスーパースターが、昨日は関係ない、問題は今日だ、と言う。そして今日、地道なことをコツコツ繰り返し、積み重ね、明日に備えている。こういう姿に、僕たち仕事人は、胸を打たれる。
自分を信じる
自分は自分の仕事が好きか。その仕事に一生懸命に取り組んでいるか。その一生懸命で地道なコツコツを、楽しんでいるか。それ自体を楽しめているか。
カズ選手の存在そのものが、こういう質問を僕たちにぶつけてくる。そして、それを高いレベルでやり切っているカズ選手に、僕たちは勇気づけられている。
カズ選手がキングとかレジェンドとか言われるのは、偉大な功績があるからだけではありません。偉大な功績があるにもかかわらず、そんなものは過去のものだよと言い、ただひたすら目の前の「いま」に集中できる人だからレジェンドなのです。そんな気がします。
偉大な人が、今日も人知れず、小さなことを毎日コツコツ積み重ねている。僕たち凡人が、コツコツ積み重ねず、どうする?
カズ選手を見て笑う人。あるいは何も感じない人。こういう人は、自分を信じられない人なんじゃないかな。自分を信じたいと思っている人は、自分とカズ選手を重ね合わせ、そこに自分のあるべき姿を見て、心打たれ、明日からの糧にする。カズ選手をリスペクトする人が多いということは、自分を信じられる人が多いということ。そういう日本は、素晴らしいと思う。
試合終了後の無念そうな顔。もっと時間を与えられれば、もっとやれるのに。あるいはカズ選手のことだから、監督の信頼を勝ち得ていない自分の「足りなさ」について考え、じゃあどうすれば監督に認めてもらえるのかについて考えているに違いありません。
そしてカズ選手は、すぐに次の試合に向けての準備に入るのだと思います。やるべきことをただひたすら繰り返す。
簡単にはいかないから、のめり込む。だからサッカーはやめられない。こんな風につぶやきながら、練習に戻るのだと思います。
~コツコツ流のオキテ その二十二~
一生懸命やるから、仕事は楽しくなる
2017/08/09
【重要】コツコツ流は、嘘つかない
コツコツ流のマニフェスト
コツコツ流は、自分ができる小さな努力を積み重ね、少しずつゴールを目指すやり方です。
ビジネスマンであれば仕事のやり方、
学生であれば、勉強やスポーツのやり方、
芸術に携わっている人であれば、創作のやり方です。
そして時には、生き方でもあります。
私たちは、あっという間に高い目標を達成する人に憧れを持ちます。
そういう人は天才と呼ばれ、そして悲しいことに、僕たちは天才を崇拝しています。
世間は天才のやり方に関心を持ち、コツコツと努力している人のやり方にあまり関心をもちません。
誰しも自分は特別だと思いたい。だから何がしかの才能によって、軽々と、颯爽と、スマートに、大きな成果を達成することを望む。それがカッコいいと思う。それに憧れてしまう。
例えば、勉強していないように見せて、テストで高得点をとってしまう人とかに。
テレビやネットを見ていると、短期間で成功した人が溢れているように見える。
しかし現実は違う。天才のように見える人は外からはそう見えるだけで、裏では相当な努力を積み重ねている。この事実を知らなければならない。
コツコツ流は、一攫千金を望みつつ、そのやり方では目標に辿り着けなかった人たちが戻ってくる場所でもあります。
コツコツやりなさい。ひたすら積み重ねなさい。
若い人から見れば、地味で退屈でカッコ悪いかもしれない。
でも大人になったとき、きっとコツコツ流のカッコよさに気づくでしょう。そういう大人の生き方に共鳴するでしょう。
あなたのまわりにいる、成果を出している人に聞いてみてください。
成功するためにはどうしたらいいか?と。
その人が大人であればあるほど、きっとこう言うでしょう。
「コツコツやりなさい。正しいと思ったことを、繰り返しやりなさい」
世の中には(特にSNSの中には)、
「見せかけの輝き」や「みにくい虚栄心」が溢れています。
しかし、あなたには関係ない。もっと自分を見つめ、自分を知り、自分ができることをやらなければいけない。
コツコツ流によって、才能は磨かれて輝きを増し、コツコツ流によって周りからの信用が得られます。
才能と信用は、積み重ねによって育てられ、僕たちをゴールに近づけてくれます。
才能の輝きも、周りからの信用も、一朝一夕には得られません。それを実はあなたが一番よく知っているはず。自分を信じ、自分ができるほんの少しの頑張りを積み重ねなければならない。
コツコツ流は嘘をつかない。コツコツ流は裏切らない。
コツコツ流が、あなたに自信を与え、あなたを目標地点まで連れて行ってくれます。
コツコツ流家元 豊田礼人
2017/04/27
【必読】やり切る才能の人・浅田真央
浅田真央さんは、「伊藤みどりさんのようにトリプルアクセルが飛びたい」と思って夢を追ってきたそうです。
この2人は、「トリプルアクセルにこだわる」という点で共通していました。そして、だからこそ惹かれ合っていたのだと思います。
その憧れの伊藤みどりさんと浅田さんは、浅田さんが休養中だった2015年4月に対談しました。そのとき浅田さんは伊藤さんに質問しました。
「みどりさんは引退後、またやりたいと思いましたか?」
伊藤さんは「後悔が残らないことをやるべき。選手として続けたいならやった方が良いし、違う形でスケートに関わるのも道だよ」と答えました。
そして最後に、「継続は力なり」という言葉を贈りました。
浅田さんは笑顔になり、「みどりさんに今後の人生で大切な言葉を頂いて、心強いです」と言ったそうです。
稀有な努力家
ジュニアの頃、浅田さんは、伊藤さんから譲られた衣装を着て大会に出ていたそうです。後輩に衣装を譲るのは、当時2人が師事していた山田満知子コーチの方針だったそうです。
「スケートの目的は単に試合に勝つことではなく、努力する大切さ、持ち味や個性を生かす生き方、人を敬う精神などを身につけること」という山田コーチの信条を、衣装とともに後輩に引き継ぐのが慣例だったのだそうです。
浅田真央さんは天から与えられた才能を持ち、皆に広く愛される容姿を兼ね備えていました。そして、稀有な努力家でもあった。だからこそ、偉大なアスリートに成長したのだと思います。
継続して努力することの大切さ。それを浅田さんは、伊藤みどりさんや山田コーチから学び、自身も身をもってその重要性を体感してきたのだと思います。
好きなことを、やり切る
フィギュアスケートの試合を見ていると、超一流選手が転倒するシーンを時々見かけます。それくらい、繊細な技と体力を要するスポーツなんだと思います。その裏には、とんでもない量の練習の積み重ねがあるのだと思います。
浅田さんはスケートが大好きで競技の世界に入り、好きだから練習をし続け、さらに成長し、結果を出してきた。しかし大人になるにつれ、プレッシャーもきつくなってくる。スケートは「好き」ではあるけれど、好きだけではどうしようもないくらい大変なことも出てきます。
浅田さんのもうひとつの強さは「一度掲げた目標は最後までやり切る」人だったことです。やり切ったと思えるまでやることが、好きな人だったんだと思います。スケートが好きで、やり切ることが好き。途中で投げ出す自分は大嫌い。だから、この天才スケーターは、努力を積み重ね、成長し続けることができたのだと思います。そして、それを見てきた僕たちは、みんな彼女のファンになったのです。
26歳での引退。
浅田さんは、「やり切った」と思えたに違いない。
好きなことで目標を掲げ、それをやり切れる人。やり切ったと思えるくらい努力を積み重ねられる人。やり切ったと胸を張って答えられる何かを持っている人。
これほど素晴らしい生き方はない。
僕も、そういう人生を送りたい、と思います。
あなたはどうですか?
※参考『ナンバー5/5特別増刊号 永久保存版 浅田真央』
~コツコツ流のオキテ その九~
好きなことで目標を掲げ、それをやり切った先に、幸福な人生がある。