2017/03/21
【量稽古】ビートルズもコツコツ積み重ねたのだ
ビートルズの下積み
ポール・マッカートニーが4月に来日にします。そのチケットのお値段、知ってます?
最も高いSS席で10万円。ワオ。
こんな値が付くのも、「もう見れないかもしれない」という希少価値性と、やはりビートルズでの偉大すぎる功績があるからでしょう。
さて今回はそのビートルズのこと。今なお色あせない名曲の数々。心に焼き付いて離れないメッセージ。はたして、彼らは天才のなのでしょうか?
もちろん天才に間違いないでしょ。今さらなにを。が、しかし。
最初から認められたのか?というとそうでもないみたいです。ギターを持った瞬間、バンドを組んだ瞬間、その天性の才能によってあっという間に成功の階段を登ったのかというと、そうでもないのです。ビートルズにもコツコツ下積み時代があったのです。
言葉も文化も違う外人の前で演奏
ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スターの4人がアメリカに上陸したのは1964年2月。
ジョンとポールがリバプールで一緒に演奏を始めたのが1957年。アメリカに行くまでに7年かかっている。
(そして、2人の出会いから最高傑作と言われるアルバム「サージェント・ペパーズ・ロンリーハーツ」や「ザ・ビートルズ」(ホワイトアルバム)の発売までは10年かかっている。)
では、ビートルズは、アメリカに渡ってブレイクするまで、どこで何をやっていたのでしょうか?
1960年、まだ売れる前のビートルズは、ドイツのハンブルグで演奏していたそうです。
そこで、とんでもない量の「量稽古」をしました。ビートルズは、ハンブルグのクラブで1日5時間以上、多い時は8時間も演奏した。それも週7日間。毎晩毎晩、言葉の通じないドイツ人相手に、演奏しまくったのです。
1960年から62年末までの間に、270晩もステージに立っていたビートルズは、演奏力が格段に上達したそうです。
1200回の量稽古
ジョンはあるインタビューでこう話しています。
「演奏もうまくなり、自信もついた。一晩中演奏してたんだから、嫌でもそうなるだろう。客が外国人なのもよかった。観客にわかってもらおうとますます必死に、全身全霊で努力した。リバプールでは1時間のセッションしかしたことがなかった。演奏はいつも同じ、得意な曲ばかり。ハンブルグでは、1日8時間もステージに立たなくちゃならなかったから、新しいやり方を見つける必要があった」
ビートルズは、言葉の通じないドイツ人を飽きさせないように、色んな曲(時にはジャズも)を覚え、工夫をして、演奏し続けたのです。これによって、ビートルズの演奏は素晴らしく良くなり、他のどんなバンドとも違う輝きを放つようになった。
ビートルズが1964年に爆発的な成功を収めたときには、すでに1200回もライブをこなしていたそうです。今日、ほとんどのバンドは全キャリアを通しても1200回もライブをやらないそうです。
ビートルズは天才だったことは間違いない。
しかし、ハンブルグ時代のストーリーは、とんでもない量のコツコツを積み重ねたことによって、その才能を見事に開花させたのだ、ということを語っている。
ビートルズもコツコツを積み重ねた。
天才も積み重ねている。だから、
凡人はもっと積み重ねばならない。
~コツコツ流のオキテ 其の三~
量が質を高める。コツコツと量を積み重ねるべし。
参考図書:『天才!成功する人々の法則』マルコム・グラッドウェル=著