2017/10/06

【偉人】マクドナルドを「やり遂げた」男
子供のころ、マクドナルドのハンバーガーを初めて食べた時は、その美味しさに衝撃を受けたものです。初めて食べたピクルスの不思議な味、家で出て来る「ジャガイモのフライ」とは何かが決定的に違うフライドポテト、そしてマックシェイクというドロドロな魅惑的な飲み物に、私たちきょうだいは唸ったわけです。
当時、名古屋市郊外の田舎に住んでいた私の家の周りにマクドナルドはまだ無くて、名古屋の中心街「栄」にあった店舗に、時々母親に連れていかれました。母は子供たちに教育的な映画を見せるために、嫌がる私たちを名古屋に連れ出す「エサ」としてマクドナルドを利用していました(笑)。
あまり面白くない教育映画など見たくなかったけれど、マクドナルドに行けるのならと、母についていき、憧れのハンバーガーを食べるのを楽しみにしていたわけです。味の衝撃の他に、ハンバーガーを包む包装紙やポテトのパッケージのカッコよさ、セルフサービスで自分たちで2階の席に運ぶスタイルが斬新で、私のお気に入りでした。
マクドナルドを飛躍させた男
そのマクドナルド。
フランチャイズ化に成功して、全世界に店舗網を広げる基礎を作ったのがレイ・クロックと言う人です。その半生は先ごろ「ザ・ファウンダー」という映画にもなりました。私は自伝「成功はゴミ箱の中に」を以前に読んだことがあり、最近また読み返しています。
1955年、レイ・クロックは、マクドナルド兄弟が経営する「マクドナルド」のフランチャイズ権を獲得し、店舗展開に乗り出します。その時52歳。それまではミルクシェイクを作る「マルチミキサー」という器械を売る会社を経営していました。
このマルチミキサーを売る目的で「マクドナルド」を視察に行ったレイは、そのシンプルで洗練された「システム」に感銘を受け、この店をフランチャイズ展開したいという野望を持ったのが、マクドナルドの始まりです。そして、84歳で亡くなるまでに世界34か国で8300店舗を開いたのです。
レイ・クロックはとんでもなく大きなことをやり遂げた人ですが、恐らく努力の人だったのではないかと思います。もし生まれつきのビジネスの天才だったら、52歳になるまでにもっと成功していたはずです。52歳でマクドナルドに出会うまでに、色んな職業を経て、借金を抱え、家庭の不和も乗り越え、日々を必死に生きてきた人です。そして、ようやくチャンスをつかみ、大成功への道を歩き始めた、努力の人なのです。
現にレイはこう言っています。
「やり遂げろ--この世界で継続ほど価値のあるものはない。才能は違う--才能があっても失敗している人はたくさんいる。天才も違う——恵まれなかった天才はことわざになるほどこの世にいる。教育も違う——世界には教育を受けた落伍者があふれている。信念と継続だけが全能である。」
レイ・クロックは、コツコツ流が提唱することと同じことを言っています。才能でも天才でもなく、継続が大事なのだ、と。そして継続しやり遂げるためには強い信念がいるのだよ、と。
リスクも醍醐味
そしてレイは「あきらめずに頑張り通せば、夢は必ず叶う」と、別の場所で言っています。そしてこう続けました。
「もちろん、努力せずに手に入るものではない。好き勝手にやればいいというわけでもない。リスクへの覚悟も必要だ。ひょっとしたら一文無しになるかもしれない。けれども一度決めたことは、絶対にあきらめてはならない。成功にリスクはつきまとう。しかし、それこそ醍醐味である」
リスクを醍醐味だと言って楽しめるか。これはなかなか難しいかもしれません。しかし人生に充実感を感じるためには、リスクを背負い、チャレンジしていかなければならないということは、私も身をもって感じるし、私の周りの経営者を見ていても、リスクを背負っている人は輝いて見えます。いや、むしろ、すごく楽しそう。
リスクについて、レイはこう言います。
「幸せを手に入れるためには失敗やリスクを超えていかなければならない。床の上に置かれたロープの上を渡っても、それでは決して得られない。リスクのないところに成功はなく、したがって幸福もないのだ。我々が進歩するためには個人でもチームでも、パイオニア精神で前進するしかない。企業システムの中にあるリスクを取らなければならない。これが経済的自由への唯一の道だ。ほかに道はない」
レイは、おそらく何度もリスクを取ってチャレンジし、そして失敗を重ね、それでも「やり遂げる」ために継続して努力を積み重ねてきたんだと思います。
今日、私たちの身近にマクドナルドのハンバーガーがあるのも、レイ・クロックの信念と継続があったからなんだと思うと、姿勢を正して食べなくちゃ、と思います。
偉大な経営者は引寄せ合う
レイ・クロックの自伝「成功はゴミ箱の中に」には、ユニクロの柳井社長とソフトバンクの孫社長の対談と柳井社長の解説が載っています。
お二方とも、起業家としてのレイ・クロックに一目置いていて、その解説や対談はとても興味深いものになっています。
孫社長は、ソフトバンクを起こす前に、藤田田さんの著書「ユダヤの商法」を読んで感銘し、既に成功者だった藤田さんに面会を申し込みます。そのときに、藤田さんから「コンピュータをやれ」と言われて、その方向に進んだというのは有名な話です。藤田田さんは、マクドナルドを日本に持ってきた人で、レイ・クロックからマクドナルドのシステムを教わったそうです。その後、藤田さんは、成功したソフトバンクの社外取締役も務めました。このあたりの人間のつながりが、すごく面白いですね。
柳井社長は、山口県宇部で小さな衣料店からスタートし、ユニクロを大企業に育て上げました。その柳井社長はレイ・クロックの「Be daring , Be first , Be different (勇気を持って、誰よりも先に、人と違ったことをする)」という言葉に打たれ、常にこの言葉を胸に行動してきたそうです。
レイ・クロックに偉大な経営者たちが刺激を受け、それぞれに影響しあっていたのです。
その言葉にはやはり重みがあります。
やり遂げろ。絶対にあきらめるな。
シンプルだけど、ズシンときます。
~コツコツ流のオキテ その十七~
この世界で継続ほど価値のあるものはない