2018/02/05

一瞬で歓喜。という愚かさ。
カヌー選手がライバル選手のドリンクに禁止薬物を入れて飲ませ、出場停止に追い込もうとした事件。犯人である選手が名乗り出て、事件は収束へ向かいました。
前代未聞のとんでもない事件。1人の人間の選手生命や人生までめちゃくちゃにしかねない卑劣な行為に、驚きと強い憤りを感じます。同時に何とも言えない嫌な気分になりました。つまり、人間の奥底に眠る「自分さえ良ければいい」という醜い部分を見てしまったような。
次の犯人を生む「雰囲気」
この事件を取り上げているニュース番組の司会者やコメンテーターは、「スポーツ界の恥」「日本人の恥」と犯人である選手を一斉に非難していました。
しかし、犯人の下劣な品性やねじ曲がった性格のみを事件の原因にして、この事件を片づけてしまって良いのかどうか。こんなことをしてはならないということは、まともな人間であれば誰でも分かる。非難するのは簡単。でも、この社会全体に、次の犯人を生み出してしまうような「雰囲気」があるのではないか、とも思ってしまうのです。
その雰囲気とは、「成功というのは、やり方次第で、誰でも簡単に手に入るもの。コツコツ努力するのは時間の無駄だし、カッコ悪い」と思わせてしまう雰囲気。例えば、テレビをつければ、CMで、ビール片手に歓喜の表情で喜ぶ人たちのシーンが次から次へと流れてきます。海辺で仲間と一緒に踊る、幸せそうな男女が出てきます。豪邸のような家で幸せそうに暮らす家族が出てきます。これが毎日毎日繰り返される。そして刷り込まれる。
SNSを開ければ、同じく、キラキラ輝く「仲間と歓喜する人たち」の写真が次から次へと投稿されます。「俺たち、最高!」「楽しい!充実してるでしょ私たち!」と叫ぶ人たちの「クライマックス」の写真が溢れています。
本屋に行けば、「一瞬で1億円」とか「あっという間に成果が出る」系のタイトルが並んでいます。
こういうシーンを毎日見続けると、「地味にコツコツ積み重ねましょう」という辛気臭い考えは横に置かれ、「やり方ひとつで一瞬で成功できるのだ!」「勝ったもん勝ち!」という考え方が勢力を持つようになります。
つまり、結果重視の、楽な生き方をよしとする雰囲気が日本全体を覆っているように感じるのです。
勝ち方はどうでもよい。勝てばいいのだ。
しかし、現実の世界はもっと厳しい。毎日は地味なことの繰り返し。そんなにすぐに上手くいくことなど、ほとんどない。テレビの中のようにはいかない。私たちはこの事実に直面する。
すぐ手に入ると思っていた成功が手に入らないと、その現実を自分の中で消化できず、パニックになり、時にやる気を失い、時に怒り出します。「こんなはずじゃない。何かが間違っている」と誰かを攻撃する人も出て来る。本来の人間に備わっていたはずの「忍耐」が、社会全体の雰囲気によって忘れられ、踏ん張ることができなくなってくるのです。
「自分だってテレビやSNSの中の人たちと同じように、歓喜の輪に入れるはずだ」
そこから嫉妬心やねじ曲がった考えが生まれ、願望と現実とのギャップを埋めるために、他人を貶(おとし)めたり犯罪に手を出してしまう・・・。
あるいは、「○○さえ手に入れば、あとは何とでもなる。とにかく○○を手に入れたい」(○○はお金や地位やオリンピック出場資格など)と考え、そこに至るプロセスをすっ飛ばしてしまう。とにかく結果、結果、結果。バレなきゃ何をやってもいい。
「勝ち方はどうでもよい。勝てばよいのだ」
「儲け方はどうでもよい。儲かればいいのだ」
現代の日本において、私たちはこういう雰囲気から自分は無縁だと言い切れるでしょうか。
いいえ。
昨今の仮想通貨への群がり方や、相変わらず大量に流されている宝くじのCMを見ていると、「楽して儲けたい」「一瞬で金持ちになりたい」「とにかく金を持てば幸せになれるでしょ?」という強い思いが、私たちの心の奥底にしっかりと刷り込まれている気がしてなりません。
地味で退屈で我慢の連続。それが現実。
最近の新聞で、仮想通貨で億近い利益を出したサラリーマンが、「会社を辞めて、念願だった飲食店を開く予定だ」と言っている記事を見ましたが、果たしてこういう人は飲食店で成功できるのでしょうか。忍耐なく大金を手にしてしまった人が、大きな忍耐を要求される経営の世界で生き残っていくことができるのでしょうか。
多かれ少なかれ、誰しも「一瞬で金持ち」とか「楽して成功」という言葉に魅力を感じるでしょう。私だって、「仮想通貨で数千万円利益が出ました」という知り合いを目の前にした時、「すげえーー!!!(羨ましいという意味で笑)」と気持ちがグラグラしてしまったことを告白します。
つまり、私たちの心の奥底には、誘惑する悪魔が眠っています。悪魔は、危険なゲームに私たちを誘う。この悪魔は、この社会全体を覆う「雰囲気」の中で育つ。そして「俺だって、すぐに歓喜の輪に入れるさ。いや入ってしかるべきだ」とささやく。
こういう悪魔とともに歩むのか。それとも断って、自分自身の技や心をコツコツと磨き続ける道を選ぶのか。瞬間的な成功ではなく、継続的な成長を求めて。
コツコツ流は、即座に結果を求めないスタイルです。不断の努力に支えられた忍耐の道です。地味で、退屈で、我慢の連続ですが、そこにはプロセスを尊ぶ精神があります。雰囲気から生まれた結果主義の悪魔の誘惑からは距離を置く歩き方です。
自分の才能を伸ばし、成長すること・進化することを喜びとし、目標へ向かって歩き続けること。それが達成という果実をもたらします。そしてマスタリー(達人)への道に入ります。
コツコツ流は、そういう人を応援します。
~コツコツ流のオキテ その二十一~
結果主義の悪魔の誘惑に騙されるな