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2018/04/29

何者かになりたい(その1)

コツコツ流家元であり、当コツコツ流ドットコムの執筆者、私豊田礼人(とよたあやと)のコツコツ流ストーリーを2回に渡ってお届けします。今回はその1。

 

 

 

「何者かになりたい」

 

 

そんな気持ちをずっと心の奥に持っていたが、具体的に何がやりたいかが分からず、ただ漫然と「サラリーマン」として生きていた。

 

 

新卒で入った印刷会社は立派な会社だったが、仕事は退屈そのものだった。

 

 

「なんとかしなくちゃ、なんとか・・」

 

 

と入社してから毎日思い続けていた。決してオーバーではなく、本当に毎日そう思っていた。

 

 

そんなとき、「中小企業診断士」という資格に出会った。そして、「何もしないよりはマシ」くらいの気持ちで、資格取得に挑戦し始めた。

 

 

そのころから、印刷会社の仕事も徐々に面白くなってきた。大手クライアントを任され、日々忙しく過ごしていた。やり手の上司に可愛いがられ、将来を期待されていた。クライアントの「売りたい」を形にする販促物制作の仕事のコツも分かり始め、クライントからの信頼感も増していった。どんなデザインがいいのか、どんなコピーがいいのか、どんな色がいいのか、毎日そればかりを考えて、動き回る生活だった。

 

 

しかし、大企業であるクライアントは「予算を無難に消化する」ことが最大の関心事で、マーケティング的な視点は皆無だった。お客さん(ユーザー)の気持ちはほとんど無視されていた。とにかく見栄えよく間違いなく作りさえすればよい、という世界。こういう大企業の考え方に疑問を持つようになってきた。

 

 

自分に実力もついてきて、社内での発言力も増してきたが、資格をとってコンサルティングの仕事をしたいという欲求もだんだん強くなり始めていた。本当に売れるマーケティングを実践してみたい。自分の力で人生を切り開いてみたい。そんな気持ちだった。

 

 

そんなとき、30歳になっていた僕に、部長が言った。

 

 

「豊田、次はお前が課長だぞ」

 

 

正直びっくりした。ボクより年上の先輩は他に何人もいるのに、その人たちを飛び越して課長になれるというのだ。30歳で一部上場企業の課長というのは悪くない出世だ。でも、不思議なことに、まったくワクワクしなかった。むしろ、

 

 

「ヤバイ。このまま管理職になったら、ますますこの会社から抜け出せなくなるぞ。ボクは本当にこの仕事をやり続けていいのか?」

 

 

と思っていた。ヤバイヤバイヤバイヤバイ。早く何かを決断しなくては、手遅れになる・・。何かを何かを・・何を?わからずまま、時だけが過ぎていく。

 

 

そうこうしているうちに、中小企業診断士の1次試験に合格した。4回目のチャレンジでやっとのことだった。最初の2回は適当に受けていたから仕方ないというものの、正直時間を掛けすぎた。が、ボクにとっては大きな出来事だった。

 

 

「今だ!」

 

 

気づいたら辞表を部長に出していた。本当に体が勝手に動いたという感じだった。妻も賛同してくれた。それが何より嬉しかった。

 

 

しかし翌日待っていたのは、部長からの嵐のような説得攻撃だった。「考え直せ」と。何度も話し合いを重ねた。でも、このきっかけを逃したら次はないような気がしていた。だから、押し切った。部長も最後はあきらめて、

 

 

「わかった。でも失敗したら、いつでも戻って来い」

 

 

と言ってくれた。素直に嬉しかった。

 

 

ボクは、道を誤ったのか?

 

 

退職したあとは、午前中は知り合いの会社で経理の手伝いをし、午後は2次試験の勉強に取りくんだ。妻は働きに出た。いつもボクを応援してくれる彼女だが、内心は不安だったろうと思う。それを感じてさらに不安になったボクは、1次試験合格をひっさげて(笑)コンサル会社の就職面接を何社か受けた。しかし結果は全部不合格だった。

 

 

「資格取ってからまた来てください」

 

 

至極当たり前の話だ。誰がこんな中途半端な男を採用するものか。

 

 

あらためて、世間の厳しさを感じた瞬間だった。自分の甘さにあきれもした。根拠のない自信が、グラグラと揺らぎ始めた。このとき、自宅に戻るバスの中で、突然背筋が寒くなった。

 

 

「ボクは、道を誤ったのか?」

 

 

まだ2次試験を受ける前であるにもかかわらず、弱気な自分が顔を出し始めた。

 

 

「本当に会社へ戻るって言ったら、部長なんて言うかな・・」

 

 

そんな後ろ向きの声を振り切り、再び勉強を続ける日々に戻った。

 

 

受かるしかない。やるしかない。受からなかったら、ボクは終わる・・。そう自分にプレッシャーをかけながら机に向かった。

 

 

10月の試験当日、無我夢中だった。そして、2ヶ月後の結果発表の日を迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人生をかけたはずの決戦であっけなく敗れてしまった。不合格を知った日、目の前の全ての光が、消えた。

 

 

落ち込むボクを見て、妻が怒った。そして泣いた。

 

 

何のために上場企業を辞めたのだ・・・。

 

 

 

 

 

試験には失敗したが、生きていかなければならない。稼いで、食わなければいけない。

 

 

運よく、お手伝いをしていた会社の社長に誘われて、その会社に入社した。人材サービスのベンチャー企業である。そこでは「稼ぐ」ためにひたすら頑張った。結果も出し、周りからも認められた。「資格試験崩れ」の汚名を晴らすことに集中した結果だった。

 

 

でも、資格をあきらめたわけではなかった。

 

 

「何のために上場企業を辞めたのだ」

 

 

その思いが常に頭を支配していた。働きながら予備校に通い続けた。予備校内での成績も上がり、全国模擬試験では合格圏内をキープしていた。

 

 

そして秋に試験を受け、冬の結果発表の日が来た。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・また、落ちていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

理由は分からないが、現実は厳しいということなのか。人生は本当に思い通りにならない。神様なんていない。いるわけがない。受け入れたくないが、受け入れるしかない。認めたくないが、認めるしかない。しかし、あきらめきれず、もう1年頑張った。秋が来て、そして冬になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

・・・またまた、落ちた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この頃になると、ボクの前で「資格」とか「試験」とか「合格」という言葉は禁句だった。妻には非常に気を使わせた。会社でそういう方面の話題になりかけると用もないのに席を立って、その場から逃げた。

 

 

 

ここまで頑張っても成し遂げられないこの「中小企業診断士」という資格は一体何なのか。それほど価値のあるものなのか。

 

 

 

経済産業大臣が認可するこの資格のキャッチフレーズは、

 

 

 

「経営コンサルタントの唯一の国家資格」

 

 

 

というものだ。日本版MBAと呼ぶ向きもある。言い過ぎである。が、試験内容の面白さからか、今でも根強い人気のある資格ではある。但し、法律で守られた「独占業務」があるわけではなく、資格取得後に独立開業する人はごく少数派である。つまり「食えない資格」の代表格とさえ言われるものである。

 

 

 

合格率は1次、2次とも15~20%くらい。1次試験に合格すれば、2次試験を2回(当年と翌年)受験する権利が得られる。(※)合算すると4.5%~8%くらいの合格率である。結構なものである。ボクのように何年も受からない人もいれば、1~2年で合格する人もいる。特に2次試験は論述式で正解が見えにくい種類の出題が多いので、合否の理由を結論づけにくいことが受験生を悩ます。そして泥沼化する。(※試験形式はその後変更されている)

 

 

 

コンサルティングの仕事がしたい

 

 

 

自分の夫の人生を支配しているこの「中小企業診断士」という得たいの知れないモノの正体を見極めたい、と思っていた妻は、ある日、行動に出た。

 

 

 

天気の良い平日の昼間、妻は自転車で買い物に出かけた。いつものスーパーで食料品を買った後、道端の電信柱にふと目をやると、ある看板が目に飛び込んできた。

 

 

 

税理士/中小企業診断士 ○○△△(名前)
電話番号 052-×××-××××

 

 

 

妻にしてみれば、生まれて初めて目にした世間での「中小企業診断士」という看板。実際にこの名称で商売をしている人がこの近くにいる・・。その人に会って、この資格の実態を確かめたい。そう思った妻は、その看板主の先生の事務所へアポ無しで訪問した。

 

 

 

「すいませーん!中小企業診断士って商売になるのですか?ウチの旦那が取り憑かれちゃって・・。先生!教えてください!!」

 

 

 

・・しかし、あいにくその先生は外出中で、代わりにアシスタントのオバさんが親切に対応してくれた。

 

 

 

「あら、ご主人がそんなんなっちゃって。あなた、心配なのね・・。ウチの先生はもともと税理士として仕事していたのだけれど、仕事の幅を経営コンサルティング業務にも広げたくて、中小企業診断士を取ったのよ。そう・・ご主人が・・。大変ね・・。心配よね・・。でもウチの先生、まだ中小企業診断士としての仕事を受けたことは無いみたいなのよ・・。やっぱり税理士の方が定着しているからね・・。そう、ご主人頑張っているのね・・。あなたも頑張っているのね。応援しているわよ。また来てね」

 

 

 

そう言われて、妻は帰ってきた。妻の頭の中の霧は晴れないままだった。この話を聞いた僕は、ボクのことを必死に考えてくれる妻のありがたさを知り、泣きそうになった。(※後日この話を聞いたコンサル仲間から、「奥さんのその行動力、 お前よりもコンサル向きだ!」と言われた・・)

 

 

 

そして、まだ資格は取れていないけれど、仮に取れたとしても、その後も大変そうな資格だな・・と改めて思い、暗くなったのだった。

 

 

 

そしてまた秋が来た。2次試験に限れば、5回目の秋になる。この年も予備校の成績は良かった。しかし、そんなものは全く無意味であることは、百も承知だった。まったく興味は無かった。誰も信じない。試験当日信じられるのは自分だけ。自分で何とかするしかない。

 

 

 

この数年間、一緒に勉強していた仲間は、受かるか、もしくはあきらめて消えていった。当然だが、後者の人の方が多かった。受かりもせず、辞めもせず、まだ続けているのは自分くらいだった。本当に恥ずかしい。できれば隠したい事実だ。予備校の先生は何年も受からないボクを「ハレモノ」のように扱った。そりゃ、先生だってイキの良いニューフェースを短期間で合格させた方が、評価は高まるし、自分も楽しいのだろう。しかし、一番あんた達に金払っているのはボクだぞ!ロイヤルカスタマーだぞ!!そう叫びたかった。

 

 

 

弁護士でもなく、公認会計士でもなく、税理士でもなく、中小企業診断士である。果たして、ここまでこだわる価値のある資格なのか?そう何百回も自問した。でも決まって答えは一つ、

 

 

 

「コンサルティングの仕事がしたい」

 

 

 

なぜ、コンサルティングの仕事がそこまでしたいのか?それははっきりとは分からない。単にカッコつけたいだけなのかもしれない。しかし自分の中を掘り下げて見ると、一つ気づくことがある。それはこうだ。

 

 

 

もともと涙腺が弱いボクだが、必ず涙を浮かべてしまう瞬間がある。それは、「頑張っている人」を見た時だ。老若男女問わず、今、現場で頑張っている人を見ると、何故か涙が出る。サラリーマン時代から、頑張りたいけど、頑張る方法が分からず、悶々としていた自分と重ね合わせているのかもしれない。

 

 

 

コンサル先の社長からこんな話を聞いた。その社長が車でガソリンスタンドに寄った時のこと。南米出身であろうアルバイトの男の子が、ものすごいカタコトの日本語で「マド、オフキシテ、ヨロシイデスカ」と話しかけてきた。承諾すると、日本人の店員では考えられないほどの熱心さで窓を拭いてくれる。その姿を見た社長は、感動して大泣きしたそうである。話を聞いているボクも泣いてしまった。

 

 

 

たぶん、ボクは、頑張っている人が好きなんだと思う。だから頑張っている人、頑張りたいけど頑張り方が分からない人に、アドバイスをするコンサルティングの仕事に惹かれるのだと思う。

 

 

 

でも資格を取ったからといってコンサルティングの仕事ができるわけではない。要は実力次第だ。資格なんて無くたって、コンサルティングの仕事をしている人はたくさんいる。逆に、資格を持っているだけで、活用していない人もたくさんいる。

 

 

 

でもボクはあえて資格を取りたかった。ここまできてあきらめたら、一生後悔することは目に見えていた。スッパリあきらめられるほど器用でもない。何より、自分をゴマかすのが死ぬほどイヤだったのだ。

 

 

 

試験会場の自分の席に座った。1年ぶりだ。皆なんだかんだ自分に理由をつけて辞めていった。ボクだって、座りたくて何度もこの席に座っているのでは無い。だけど、その時思った。

 

 

 

「この席まで歩いてきて、そして座らない限り、絶対に合格は、ない」

 

 

 

負け続けてきたけど、そもそもここに来なければ、勝負さえ始まらない。逃げ出さなくて良かった!と思った。家庭の事情で勉強をあきらめた人がいる中で、続けさせてくれた家族にも感謝した。

 

 

 

勝つ自信は相変わらず無かったけれど、勝つための準備はしてきた。そして、今日、ここに来た。

 

 

 

320分の死闘が始まり、そして終わった。現実の仕事に比べたら、ちっぽけな戦いかもしれない。しかし、このときの自分にとってはまさに生死をかけた戦いだった。

 

 

 

そして冬が来た。発表の日の朝、職場でパソコンを立ち上げた。インターネットで結果を調べるためだ。同僚の手前、平静を装っているが、内心は心臓が口から飛び出しそうなくらい緊張している。

 

 

 

念願かなうのか、それとも、やっぱりダメなのか・・。(続く)

 

 

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2018/01/10

試験は落ちてもいい

 

本当は、

 

 

「試験は落ちたほうがいい」というタイトルにするつもりでした。

  

 

 

しかし、これを書いている今、まさに受験シーズン真っ盛り。そんな中で「試験は落ちたほうがいい」なんて書くと、あまりにも無神経で非情だと言われかねないので、少し柔らかくして、「落ちてもいい」という表現にしました。

 

 

「納得いかない自分」から始まる未来

 

 

もちろん常識的に考えれば、合格を目指して努力してきたわけですから、合格したほうがいいに決まっています。

 

 

でもたとえ落ちたとしても、落ちたことによって得られるメリットは、計り知れないくらい大きいのだよ、ということも是非知っておいて欲しいという思いで、これを書きます。

 

 

私ごとで恐縮です。

 

 

私はまず社会人になるときの就職試験で、希望する会社にことごとく落ち、何とかひっかかった会社に渋々入った、という苦い経験があります。(その会社の先輩方、本当に失礼な言い方で申し訳ありません。あくまでも入社時の若気の至り、とご容赦ください)

 

 

希望しない会社に就職してしまった私は、仕事に対してまったくやる気が出ませんでした。「この会社に入りたかったわけじゃない」という思いが強く、モチベーションがどうしても上がらなかったんです。(今思うと本当に身の程知らずな奴ですよね)

 

 

そのときは、「何でオレは希望の会社に落ちたんだ」と過去の出来事に対していつまでもウジウジとこだわっていました。この「ウジウジした思い」がいつしか、「俺はここでは終われない」という思いに転化し、経営コンサルタントの国家資格(中小企業診断士)の取得を決意することにつながります。(ちょっと飛躍しすぎというか、はっきり言ってアホですけどね)

 

 

まあ世間的には、この資格を取ったぐらいで、それほど大きなインパクトはありませんが、自分にとっては、人生を逆転するための重要なきっかけになる、と激しく思い込んでいました。重ねて言いますが、ホント、どうかしていました。

 

 

が、しかし。

 

 

おそらくこの資格を取っていなかったら、私は起業はしなかったと思います。

 

 

もし私が、自分が希望した会社に合格し、誰もが憧れる一流会社に入り、大きな社会的羨望を手に入れていたら、この決断はなかったことでしょう。これは断言できます。私はそれほど野心家でもなかったし、社交的でもなかったし、どちらかというと、長いものに巻かれて安心するような、目立たないタイプの人間だったからです。

 

 

だから、

 

 

起業して事業が軌道に乗り、私なりに充実した毎日を送っている今、「あの入社試験に落ちて、本当に良かった」と真剣に思うのです。

 

 

何度も落ちた

 

 

当時、「充実しないサラリーマン生活を何とかしなくては」という思いから、中小企業診断士という国家資格にチャレンジをし始めたわけですが、この資格も簡単には受からせてくれませんでした。

 

 

受からないことで追い込まれた私は、背水の陣でチャレンジするために、会社を辞めるという暴挙に出ます。すでに結婚もしていました。だから、絶対に受からないといけないチャレンジになってしまったわけです。

 

 

しかし、落ちました。何度も何度も落ちました。何度も泣きました。妻も泣きました。

 

 

しかし数年後、神様はいたのか、運が良かったのか、それとも実力が備わったのか、理由は分かりませんが、とにかく最終的には合格することができました。その間、1次試験、2次試験合わせて10回近く落ちました。

 

 

その当時は、私にとって、まさに「暗黒の時代」でした。「試験を受けます」という理由で上場企業を辞めたので、家族はもちろん元同僚や友人知人は全員、この事情を知っています。ということは、顔を合わすたびに「試験どうだった?」と聞かれることになります。親戚筋は面と向かっては聞きませんが、正月などに会うと、顔に「また落ちたんだね。かわいそうに」と書いてあります。この時期は、本当に苦しかった・・・。

 

 

しかし、今振り返ると、「落ち続けたことも、まんざら悪くない」と思える自分がいます。負け惜しみではありません。本当にそう思うのです。

 

 

なぜかというと、この私の「落ちまくったストーリー」が私の営業活動を支える強力な武器になったからです。

 

 

失敗をさらけ出すとうまくいく

 

 

経営コンサルタントとして起業したころ、なかなか思うように仕事が頂けませんでした。当時は「経営コンサルタントは、エリートでスマートでなければならない」と思い込んでいた私は、試験に落ちまくったという過去を隠して活動をしていました。

 

 

しかし、コンサルタントというのは人間そのものが商品です。自分を偽って売ろうとしている私に興味を持つ経営者はいませんでした。だから仕事が取れない。

 

 

当時は実力も、看板も、金もない。おまけに特長もない。

 

 

困った私は、賭けに出ます。「落ちまくった過去」を全てさらけ出すことにしたのです。その方が、ありのままの自分が伝わり、もしかしたら興味を持ってもらえるのではないか、と思ったのです。失敗談をさらすと、人間の素の部分が見えるので、共感してくれる人が出てくるんじゃないか、と考えたのです。

 

 

この目論見は当たりました。

 

 

落ちまくったストーリーをホームページに載せ、メールマガジンで配信したところ、問い合わせが一気に増えたのです。問い合わせてきた人に会うと必ずコンサル契約が取れました。またセミナーでこの「失敗談」を話すと、話した瞬間、グッと参加者の「前のめり感」が増すようになり、満足度が飛躍的に上がることも分かりました。このストーリーは、いわば私の貴重な「キラーコンテンツ」になっているわけです。

 

 

ダメだった自分をさらけ出すことで、相手の共感を得ることができたのです。

 

 

この経験、このストーリーが無かったらと思うと、少しぞっとします。おそらく受注量に大きな差が出ていたと思います。だから、私は、「試験に落ちて、悪いことばかりではない。良いこともたくさんある」と思うのです。

 

 

また、何回落ちても、コツコツとやり続けたことで、地力が徐々に身についていき、起業しても絶対に途中であきらめない、という信念が育っていったように思います。これも本当に大きな財産です。

 

 

試験に落ちたからこそ、見えなかったものが見え、学べなかったことが学べたのです。これは、生きていくうえで本当に貴重なことでした。

 

 

確かに落ち続けている時は苦しくて、本当に自分が恥ずかしかったです。そして情けなくて、悔しかった。しかし今振り返ると、その経験が間違いなく今の自分を形成する重要なものになっているのです。(この私の詳しいストーリーはこちらから

 

 

ダメ出しが、地力をつける

 

 

このことは、私が言っているだけじゃなくて、人気時代小説作家の山本一力氏も言っています。

 

 

若かりしころの山本氏は、サラリーマンをしていて、大きな借金を作ってしまいます。普通の職業の収入ではとても返せない額ですので、山本氏は小説家になることを決意します。それまで小説なんて書いたことも無いのに、です。周囲の人や債権者は皆、大反対。「シロウトに書けるわけないだろ」、と呆れられました。しかし奥さんだけは「あなたならできる」と背中を押してくれたそうです。

 

 

そして、新人賞に応募するのですが、受からない。落選の山。もちろん簡単なものではないことは分かっている。でも人生を賭けてのチャレンジだから、不合格は本当につらい。

 

 

しかし山本氏はあきらめずに応募し、ついにオール讀物新人賞(文藝俊秀社)を受賞します。そのとき49歳。ちなみにその時の作品「蒼龍」は、新人賞に何度しても受からない自分を江戸時代にタイムシフトさせて書いた物語でした。

 

 

受賞を機に本格的な作家活動に入った山本氏でしたが、次の作品が掲載されるまでに2年を要します。担当編集者から何度もダメ出しをされる毎日。さらに執筆一本に絞ったため収入はゼロ。

 

 

山本氏は「お前(担当編集者)が良否を判断するんじゃなく、編集長に直接読んでもらいたい」と大喧嘩して訴えると、担当編集者はこう言いました。

 

 

「編集長に見せてペケを食らったらあなたはもう一回ゼロに戻っちゃう。だからOKをもらえるレベルまで仕上げないといけない。私はあなたの味方なんです。だからこそ編集長に見せないんです。私も一緒に勝負しているんです」。

 

 

こうして担当編集者に作家としての地力を鍛えられた山本氏は、何度目かのチャレンジで直木賞を受賞します。そこから執筆の依頼はどっと増え、今も途切れないそうです。

 

 

落っこちることのツキ

 

 

山本氏は人材バンクネットのインタビューでこう言っています。

 

「俺が作家を目指し始めたころもそう。一番最初にある文学賞の新人賞に応募したときは最終選考まで行ったんだけど、落っこちた。落ちたときは、何で俺はこうツイてないんだと思ったよ。でも、あとでオール讀物の新人賞をいただいたとき、ほんとうに思ったよ、俺はツイてたって。もしあの程度の作品で「運悪く」新人賞をいただいていたら、その後潰れてたなって。

 

 

だって俺が落っこちた新人賞出身で今名前が残ってる作家はゼロだから。そのあと俺は2回応募して2回とも「運良く」落っこちて、オール讀物で新人賞をいただけたんだ。

 

 

何も作家の話に限らず、一般的に見てもそうだと思う。だいたい普通は自分の希望が通らなかったらツイてないと思うわけでしょう。就職・転職でも同じ。でも俺はそうじゃないと本気で思っているんだ。ツキがあるがゆえに落っこちるってことがいっぱいあるんだよ。例えば試験勉強の一夜漬けなんてのは、あれは全然、力がついてないだろ。楽して受かっちゃうわけだから。たいていはそこから先何もしないから力がつかない。だからいざっていうときにめげちゃうんだよ。

 

 

そういう「落っこちることのツキ」っていうのを、みんなもっと真剣に考えたほうがいいぞ。何で俺はついてないんだ、こんなんで落っこって、って思うよな。落ち込んだり、腹も立つ。でも、落っこちるっていうのは、本当はツイてるんだよ。「そこでもう一回見直しをしろ」と言われてるんだから。運の悪いやつは、うっかり一夜漬けなんかで通っちゃうんだよ。で、ラッキーと思うわけだけど、でもそれは単に人生のつまみ食いをしてるだけなんだよ。

 

 

こんなふうにツイてるツイいてないっていうのは見方を変えたら180度、ガラッっと変わるぞ。ほんとに変わる。自分がプラスになるように考えればいい。自分を哀れまないことだよ、自分を慰み哀れむようになったらもうドツボだから。」(第12回山本一力氏インタビュー 人材バンクネットhttp://www.jinzai-bank.net/edit/info.cfm/tm/043/

 

 

門前払いの嵐から見えたこと

 

 

私の話にまた戻ります。

 

 

資格を取って起業した後、私は商工会議所に営業をかけました。商工会議所には中小企業診断士の資格保持者が「無料経営相談」というサービスを一般の会社に対して行っています。会社側は無料で相談が受けられ、中小企業診断士は会議所から報酬を頂きます。商工会議所の他、県や市などの公的機関で同様のサービスが行われています。

 

 

私は、資格さえ取れば、この仕事が頂けるものだと思っていました。しかし現実は違いました。何のコネも持たずに商工会議所に飛び込み訪問した私は、すべて門前払いをされました。当たり前です。どの機関にも、既に先輩コンサルタント先生たちがしっかりと入り込んでおり、何の実績もない新参者に回ってくる仕事などありません。

 

 

仕事が欲しければ、それらの先輩方が並ぶ行列の最後尾に並んで待つか、あるいは先輩方にすり寄って、おこぼれの仕事を下請けするしかありませんよ、と窓口の方に言われました。

 

 

そうです。またしても不合格。拒否、拒否、拒否という現実に直面しました。

 

 

しかし。

 

 

今振り返ると、このときに拒否されたからこそ、「自分の力でマーケティングし、仕事を頂く」ということにコミットできたのです。そこから自分の強みを磨き、顧客のニーズについて真剣に考え、行動を積み重ねようと決意したのです。

 

 

落ちたらラッキー

 

 

それからの私は、マーケティングの専門家であると名乗るのが恥ずかしくないように、自らのマーケティングをド真剣にやり始めました。そして、自らの体験から得た成功方法を顧客に伝え、失敗から学んだ物事の本質を見る力を養うという「実践型コンサルティング」ができるようになったのです。

 

 

もし、私が公的機関からの仕事に最初から従事し、そこそこ稼げてしまっていたら、こういう展開にはならず、自分自身のマーケティング力は上がらなかったと思います。

 

 

道が閉ざされたからこそ、そこから活路を見出すために、謙虚に、本来やるべきことに取り組むことができたのです。落とされた自分はラッキーだったのです。

 

 

作家の山本氏が言う「落っこちることのツキ」というのは、求めたものから拒否されたときにだけ、謙虚に自分と向き合い、謙虚に人から学ぶ姿勢になり、真の実力を身に着けるチャンスが訪れるのだ、ということだと思います。

 

 

失敗することなく、挫折なく、スムーズに成功できる人生を送れる人は、それはそれで素晴らしい。

 

 

しかし、たとえ拒否されたり、不合格を突きつけられたりする状況に直面したとしても、嘆いたり自分を責めたりしなくてもいい。

 

 

むしろ、そこに大きなチャンスがある。

 

 

落ちたらラッキー。

 

 

こう思えたとき、変なストレスから解放され、人生が楽しくなります。

 

~コツコツ流のオキテ その二十~

落っこちるていうのは、本当はツイてるんだよ

 

 

 

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2017/08/31

【受験】成長曲線は遅れてやってくる

 

 

夏になると、高3のころの大学受験勉強を思い出します。勉強だけの夏休み。思い返せば、僕のコツコツ流は、この時に始まったような気がします。

 

高校時代

 

高校は一応、進学校と呼ばれる学校でしたが、3年生になるまで、勉強するのは定期試験の前くらいで、日常的に勉強する習慣はほとんどありませんでした。成績は「中の中」という感じだったと思います。

 

 

じゃあ勉強せずに何をしていたかというと、1年生の時はサッカー部。この部は、僕がいた当時はあまり強くなかったけれど、当時の監督が恐ろしく熱心な人で、後に全国大会に何度も出場する強豪校になります。僕は1年生の頃からレギュラーになり(割とうまかったんです)、試合にも出ていました。

 

 

しかし、サッカーは大好きだったけれど、その監督がスパルタで、僕とは全然合わず、1年生の終わりごろに辞めました。すごく高圧的な人で、何か問題があるとビンタされたり、スパイクを履いた足で蹴られたりしました。今振り返ると、僕は、力ずくでねじ伏せて従わせようとする人が生理的にダメなのだなあとつくづく思います。それは今も変わっていません。でもあの頃の学校教育や部活動において体罰は当たり前で、仕方のない状況だったことも理解しています。

 

 

さて、そんなこんなでサッカー部をやめ、自由になった僕は、ギターを習いに行ったり、バンドのまねごとをしてみたりしましたが、音楽的な才能はほとんどなく、深くのめり込むこともありませんでした。で、結局、何をするわけでもなく、ぼーっと過ごす毎日。(彼女もいないし)

 

受験に突入

 

3年になると、「いよいよ受験です」。担任の先生がニコニコしながら僕たちに言いました。先生は40過ぎた位の女性で、独身。明るくて、担当の日本史を教えることを愛していて、生徒にも人気の人でした。なぜ独身なのか、と思うくらい可愛い人でもありました。

 

 

3年のクラスにはその後僕の親友となる友達もいましたが、他は何となくつまらない感じでした。4月にそのクラスに振り分けられた時、いきなり「もう、クラスの人間関係とか他人の視線とかは一切無視して、ガリ勉になろう」という思いが、天から降ってきました(笑)。1年、2年は勉強しなかったけれど、3年は勉強しよう、となぜかコミットしたんです。

 

 

サッカーもバンドも勉強も中途半端。このままだと高校時代がすごく残念なもので終わってしまうという危機感が、無意識に、僕の中にあったのかもしれません。

 

 

先生は僕たちに「1学期は、学校が終わった後、家で4時間勉強しなさい」と言いました。なぜ4時間なのか、根拠までは言わなかったけれど、僕はこれを守ろうと思いました。そして、本当に1学期は毎日4時間勉強しました。ステージ1、クリア。

 

 

そして夏休み。先生は「夏休み中は1日8時間勉強しなさい」と言いました。「嘘だろ」と思いましたが、先生はマジです。次の瞬間「やる」とコミットしました。信頼している人の言葉というのは、スンナリ体に入ってきます。そして、本当に40日間、毎日8時間勉強しました。第2ステージ、クリア。成績も少しずつ上がってきます。この時点から、僕はコツコツ積み重ねていくことの魅力にとりつかれてしまったようです。

 

成長曲線を感じる

 

コツコツ勉強する習慣が完全に身についた僕は、2学期になると、学校での勉強が終わった後、家で7時間の勉強を自分に課しました。睡眠時間は5~6時間。通学時間も休み時間も、ずーっと勉強していました。休み時間には親友と問題の出し合いです。重箱の隅をつつくようなマニアックすぎる問題を出し、それに平然と答える自分たちを、いつも大笑いしたりして、楽しみながら勉強していました。もう完全に「ゾーン」に入っている状態です。勉強したくてたまらない。

 

 

2学期の終わりごろに受けた全国模試は、志望校の合格ラインに届いていませんでした。しかし、僕の中のイメージでは、1日1日、1時間ごとに学力が上がっている感じがあり、2月の試験本番にピークが来るような感覚がありました。模試の結果というのは、模試を受けた日から1か月後とかに発表されるので、いわば過去のものです。その結果がイマイチだったとしても、今の自分は1か月前より数段成長している実感があるので、全然気にならないのです。努力曲線よりも、成長曲線は遅れてきて、最後に爆発的に伸びるイメージがありました。この図のように↓。

 

 

冬休みも中も、クリスマスとか正月とか関係なく、ただひたすらルーティンを繰り返す毎日。僕のスタイルは、とにかく何度も何度も繰り返し、頭に徹底的に叩きこむやり方。1度で覚えられないものでも10回やれば覚えられるでしょ、という感じ。とにかく暗記する詰め込み型の勉強方法ですので、試験が終わったあとはすっかり忘れてしまいます。褒められたやり方ではありませんが、その時は、「この方法でやり切れば絶対にいける」と腹を決め、集中していました。

 

 

試験の直前期はもちろん、試験日の前日まで僕は今まで通りの勉強をやり続け、その間もおそらく自分の学力は上がり続けていたと思います。ステージ3、クリア。

 

 

そして、試験。

 

 

志望大学の3つの学部を受けました。

 

 

今でも忘れませんが、最終日の最後の科目の時、僕は試験中に眠ってしまうという信じられない体験をしました。おそらく1分くらい。疲れがピークに来ていたのだと思います。すぐに起きましたが、「試験中に寝るバカがいるか」と少し笑ってしまいました。気を取り直して、問題に向かい、無事すべてをやり終えました。

 

 

試験会場から外に出ると、一面に雪が積もっていました。それを見ながら、僕は「全て受かった」と確信しました。それくらい自信がありました。「やり切った感」を全身で感じ、とてもいい気分でした。そして、本当に全部合格していました。ミッション完了。コンプリート。

 

コツコツ流の重要性を体験した

 

僕が目指し、そして入学した大学は南山大学という私大です。中部地区では名を知られていますが、全国的にはほぼ無名の大学です(同窓の諸先輩方、後輩、関係者の皆様、すみません)。そんな大学に受かったからといってどうなんだ?という話なのですが、当時の僕からすれば、これは自分なりに本当に大きな目標だったし、絶対に成し遂げたい魅力的な目標でもありました。この大学に入れば、輝かしい未来と楽しい大学生活があるように思えたのです(現実はやや違いましたが)。

 

 

世間的に見れば小さなことです。大学も無名です。でも僕としては、この成功体験は後の自分を支える重要な根拠となりました。社会的な評価ではなく、自分が誇りと思える経験をしたという事実が大切な宝物になりました。

 

 

この僕の達成を支えたのは紛れもなくコツコツ流です。

 

 

自分が達成したい目標を明確にし、コミットし、あとはひたすらシンプルなことをコツコツと積み重ねる。

 

 

①達成したい目標、②コミット、③コツコツの積み重ね。この3つ。

 

 

このことの重要性を、僕は受験を通して学んだのだと思います。この学びは僕の財産となり、その後にチャレンジする資格試験や、起業してからの苦しい時期を乗り越えるための力となりました。

 

 

夏になると、勉強だけの、あの夏休みを思い出すのです。

 

 

~コツコツ流のオキテ その十五~

目標、コミット、積み重ね。

 

 

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